2021年12月24日-2022年1月7日 西南戦争、西郷隆盛さんの足跡をたどる / その6 私学校跡 挙兵 鶴丸城

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皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。

本記事は


の続きです。


維新ふるさと館を閉館ギリギリまで堪能致しました。
この日は城山という場所にひっそりと野営しました。
(野営の禁止されていない場所で、他の方の迷惑にならない時間帯、場所を選んでおります。)

明けて3日目。
鹿児島市内には、歴史的な建造物が多く、狂喜乱舞して拝見しておりました。

旧鹿児島県庁舎本館です。
大正期のネオ・ルネッサンス様式の鉄筋コンクリート造、3階建です。
渋いです。
素晴らしい。
各種撮影や結婚式などにも使われているようです。


中を拝見致しました。
無料で拝見することが可能です。


かごしま県民交流センターです。
とんでもなく立派な建物です。


鹿児島市中央公民館です。
おしゃれな公民館です。


時は1874年、中央政府から鹿児島に帰郷した西郷隆盛さんは、いわゆる私学校を創設しました。
士族の青年たちを教育、訓練する学校です。

しかし、学校創設後、西郷さんの指導力、カリスマ性の高さもあり、鹿児島県の県政、軍事は私学校派とも言うべき人々によって占められていきました。
それに危機感をつのらせた明治政府は私学校、西郷隆盛さんに様々な嫌がらせをして参りました。
その一つに、鹿児島県内にあった、弾薬、弾薬製造の機械を大阪に移動させた、というものがありました。
鹿児島県内の軍備を一方的に持ち出された(と考えた)、私学校の生徒たちは、1877年1月30日、鹿児島市草牟田にある明治政府の弾薬庫を襲撃し、武器弾薬を奪ったのです。

この事件を契機に、私学校の生徒たちはますます意気盛んになり、明治政府に対して武力行使するという論調が支配的になりました。
そして、これ以上の抑制は不可能と判断した西郷さんは、1877年2月15日ついに明治政府に自らの考え、主張を伝える、という名目で挙兵なさいました。
その、出発点がこの私学校です。


なんと!!
この日は猛烈に冷え込み、雪がちらついてきました。
西郷さんが私学校を発った2月15日も雪であった、とのことで、なんという偶然!!とのけぞりました。

今回は15日間、お休みを作りました。
その目的は、西南戦争、西郷さんの足跡をたどる、というものです。
いよいよ、本当の出発です!!


鶴丸城を通り過ぎました。
美しい門構えです。

西郷隆盛さん(以下、西郷先生、単に先生とも言います)と私は、東京に向かう!!という大目的のために、北上を始めたのでした。

しかし、西郷先生が立たれたわずか4日後に、征討の勅(みことのり)が出され、東京の政府と平和裏に交渉する、ということは難しくなってしまったのです。


本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。

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