皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。
寄居駅へ
新宿駅から埼玉県の寄居駅まで向かいます。
川越、霞が関という駅を通過しました。
東京都にある、官公庁街ではない霞が関もあるのですね。
見聞が広がりました。
集合が早かったためか、しばらくするとお二人ともお休みになりました。
毎度毎度、集合時間が猛烈に早くて、大変に恐縮でございます。
寄居駅
野を越え山を越え、寄居駅に到着しました。
寄居駅は、秩父鉄道、東武鉄道、JR東日本の3路線が乗り入れる駅です。
そのため、埼玉県を旅行していると、寄居駅乗り換え、ということがしばしば起きます。
後述致しますが、寄居駅内に、鉢形城(はちがたじょう)主 北条氏邦(ほうじょううじくに)さんのポスターが飾ってありました。
駅周辺がとても整備されています。
これならば輪行作業がしやすいと思われます。
土曜日の早朝ということもあり、通勤、通学のお客さんが少ないのでしょう、駅前は広々としておりました。
組み立て
車体を組み立てます。
A様の車体はカスタマイズを含めると、約100万円という剛毅なモデルです。
フルカーボン、カーボンディープホイール、電動アルテグラ12速、パワーメーターに、ハンドルバー、サドルレールもカーボンです。
素晴らしい。
準備が整いました。
出発します!!
まずは最初の目的地、長瀞(ながとろ)を目指します。
鉢形城
左側に断崖が見えます。
この断崖の上に、鉢形城のというお城の跡地があります。
以下の画像は2024年6月に訪れたときのものです。
鉢形城には、見事な土塁、郭(くるわ)跡が残されておりまして、戦国マニアであれば必見ものの城郭です。
しかも、鉢形城には重厚な武勇伝があります。
安土桃山時代、豊臣秀吉が関東に侵攻して、次々と北条氏のお城が攻略されていきました。
その中で、鉢形城は前田利家、上杉景勝、真田昌幸ら歴戦のつわものの大軍3万5000人に包囲されました。
しかし、城主 北条氏邦(ほうじょう うじくに)の指揮のもと、一ヶ月以上持ちこたえる、という戦果を上げました。
結局、鉢形城は秀吉軍に降伏するのでありますが、この降伏するタイミングが見事でした。
本城である小田原城が降伏した後では、他の支城が降伏したところで優遇はされません。
かといって、早すぎる降伏は鉢形城を包囲している軍勢が本城に加勢してしまうため、避けなければなりません。
本城が落ちるギリギリまで粘って敵軍を釘付けにし、限界に達した後は城兵を助けるべく降伏するという、素晴らしい英断です。
(鉢形城は1590年6月14日に降伏し、小田原城は7月5日に降伏しています)
このように、防衛戦が優れていたこと、守将であった北条氏邦は戦闘指揮だけでなく、政治にも手腕を発揮できる優秀な人材であったことから、戦後は前田利家の客将として召し抱えられ、1597年、金沢にて没することになります(享年50歳)。
この地に、北条氏邦、前田利家、上杉景勝、真田昌幸といった綺羅星の如き諸将が集結して、合戦に及んでいたとは、胸が熱くなります。
本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。
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