皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。
夜明け
夜が明けました。
昨日の土砂降りから、一転、少し晴れ間が見てえきました。
ありがたい。
宇喜多秀家さんのお墓
昨日、立ち寄ることができなかった、宇喜多秀家(うきたひでいえ)さんのお墓に参ります。
立派な説明板が設置されておりました。
これは!?
素晴らしい!!
花々がたむけられ、非常に綺麗に手入れされています。
宇喜多秀家さんが、今でも島民の方々から強くしたわれていることが推察されます。
なんと!!
岡山城天守閣の石!!
のけぞります。
宇喜多秀家さんは1590年ごろ、岡山城の城主して、周辺諸国57万石を領する大大名として君臨しておりました。
おそらくは、宇喜多秀家さんをしのぶ後世の人々が、岡山城から礎石を運んでいたのでありましょう。
素晴らしい。。。
浮田家のお墓
宇喜多秀家さんのお墓の周囲を見渡しますと、
浮田
浮田
という墓標がいくつも見受けられます。
私は再びのけぞりました。
なぜなら、宇喜多秀家さんの直径子孫のみ宇喜多性を名乗り、傍系の方々は浮田を名乗った。。。と記憶していたからです。
つまり!!
このあたりはウキタ家の人々が眠る場所に違いありません。
感激いたしました。
八丈島で、もっとも訪れるべき場所、それは宇喜多秀家さんのお墓と、その周囲を囲むウキタ家の人々のお墓である!!
そう、確信したのであります。
宇喜多秀家さん 居宅後 再び
ありがたくもウキタ家のお墓を拝見いたしまして、昨日土砂降りの中、訪れた宇喜多秀家さんの住居跡に再び参ります。
うっそうとした竹林を進んでいきます。
宇喜多秀家さんは、ここで50年ほどの時間を過ごします。
なんとも不思議な気持ちになります。
幕府の許しがあり、宇喜多秀家回顧録といったものをお書きになっていれば、戦国時代末期の生き証人として、素晴らしい歴史的遺物となったことでしょう。
50年、という数字をみて分かる通り、宇喜多秀家さんは、本土で過ごした年月よりも、むしろ八丈島で過ごした年月の方が長いのです(享年84歳)。
数奇な人生であります。
周囲は手入れが行き届いています。
素晴らしい。
ここまで美しく手入れされている戦国武将のお墓、というのは珍しいです。
今日は八丈島ツーリングの最終日でありまして、今まで行けなかった箇所を重点的にめぐります。
宇喜多秀家さんのお墓を参りまして、つぎは、八丈富士の南西、西側に行くことにいたします。
八丈島の西側は、港が発達しています。
マリーナもありました。
どこに行っても八丈富士が見えます。
不思議な光景です。
宇喜多秀家さんと豪姫の像
到着しました!!
宇喜多秀家さんと豪姫の像です。
(以前の記事でも申し上げましたように、宇喜多秀家さんは、八丈島へ流刑処分となった後、再び本土に戻ることはありませんでした。豪姫は金沢にとどめ置かれたため、流刑後、宇喜多秀家さんと豪姫がお会いすることは、二度となかったのであります。そのことをはかなんだ後世の人々が、このような石像を作り上げたのでしょう。)
像は、西方を向いておりまして、彼らの居城であった岡山城の方角を向いているのではないか、と勝手に推察します。
素晴らしいです。
八丈島。
本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。
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