銭形砂絵 香川県観音寺市 日本一周 第1回目

四国(徳島県 香川県 愛媛県 高知県)
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皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。

ロードバイクで訪れた場所を、ピンポイントで紹介するシリーズを始めます。

第1回目は香川県観音寺市銭形砂絵です。

直径は縦に122メートル、横に90メートルあります。
つまり、本来の形は楕円形です。
しかし、琴弾公園山頂の展望台から見ると、真円に見えるようにしてあります。

日没から22時まではライトアップされます。

この砂絵、いったい、いつ、誰が作ったのか、本当のところはわかっていません。
一説には、1633年に藩主、生駒高俊さんを歓迎するために、土地の人々が作り上げた、というものがあります。
しかし、砂絵の図柄である、寛永通宝(かんえいつうほう)が鋳造されたのは1636年です。
年代が誤って伝わったとしても、生駒高俊さんがこの地方を巡察した記録は残っていない、とのことです。

私が勝手に推察すると、伝承、伝説というものは、長い年月を経ると様々に改変されていきます。
ありがたさを増すために、適当にかさ増し、どんどん古く設定されていくのは常というものです。

さらに、誰かが来た、訪れた、というのも、庶民が理解できる殿様であれば誰でも良いのであって、人々の記憶に残る人物として、生駒高俊さんが伝えられるようになったのでしょう。

公権力(藩、江戸幕府など)が作ったものでは無いため、計画書のようなものも残っていません。
おそらくは、江戸時代、土地の愉快な人々が作り上げ、それがなんとなく今にも残ったのでしょう。
成立年代と経緯は、適当な後付けと思われます。

砂絵は永続的なものではないため、定期的に補修工事をする必要があるのですが、よくもまあ(大変に失礼)、今まで継続的に形を保持してきたと、驚くばかりです。

なお、クスッと笑ってしまうエピソードとして、二次大戦の当時、米軍がこの砂絵には何らかの軍事的意味、機密があるかもしれないと偵察行動を繰り返したものの、結局何も見つからなかった、というものがあります。

この砂絵を作り始めた人々も、まさか数百年後に、外国の軍隊さんを困惑させることになるとは思わなかったに違いありません。

壮大なギャグも数百年続けば、ここまで偉大な存在になる、という好例と言えましょう。

なお、ロードバイクで行く場合、ちょっとしたヒルクライムとなります。

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本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。

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