皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。
本記事は

の続きです。
出発
日の出とともに、野営地をあとにします。
宇和島市
宇和島市に到着です!!
和霊町とは、不思議な地名です。
好奇心を刺激されます。
和霊神社
和霊神社、という巨大な神社を発見しました。
この神社が地名の由来なのでしょう。
しかし、神社の名前の由来がナゾです。
まず、拝見します。
極めて立派です。
これほどの神社、著名ないわれがあるに違いありません。
和霊神社 名前の由来
調べますと、驚愕の事実が分かりました。
全国をツーリングしておりますと、今まで全く考えたこともない事象に出会い、見聞が恐ろしく広がっていきます。
まず、宇和島には、江戸時代、宇和島藩が設立されました。
江戸時代の藩は、先祖伝来の人々が統治するのではなく、江戸幕府から派遣された武士がフラッとやってきて、今日から僕が藩主です!!となる例が多々あります。
この宇和島藩も、皆様御存知、伊達政宗さんとゆかりのある藩なのです。
(説明を簡略化するため、富田信高さん時代の宇和島藩1608年-1614年の経緯は割愛します。)
伊達政宗さんには、息子さんが複数おいででした。
まず、側室さんが男子をお生みになりました。
いわゆる庶長子、のちの伊達秀宗さんが当初は伊達家の跡取りとなる。。。と思われておりましたが、その後、正室さんが男子(のちの伊達忠宗)を出産し、ここに壮絶な跡目争いが始まるのです。
結局、政宗さんは正室の子を継嗣として認め、庶長子さんは伊達家という巨大企業の推定跡取りボンボンから一気にただの人に扱いが変わりました。
当然ながら庶長子さんと彼を支援して、将来甘い汁を吸うことを妄想していた人々が猛反発をするわけでして、伊達家分裂の危機!!となりかけました。
しかし、そこは老獪な正宗さん。
ちょうど豊臣家を滅亡させる大阪の陣が終わったばかりで、そのねぎらい、論功行賞が必要な時期でした。
江戸幕府への根回しにより、大阪の陣への恩賞として、庶長子、伊達秀宗さんに宇和島藩10万石が与えられることになりました。
そして、仙台の伊達家としては、体の良い厄介払いもできて、安泰、安泰となったのであります。
極めて失礼な書きっぷりでございますが、実体はそうでありましょう。
江戸幕府としても、京都から遠く、交通の要衝でもない宇和島なぞで大阪の陣の礼が出来るのであれば、安いものです。
これ以上、仙台藩の領土を広げるのは危険ですから。
(猛烈に失礼な内容ですが、その通りと推察します)
さらに、伊達藩が仙台、宇和島と分裂して勢力が削がれるのであれば、ますますありがたい、伊達家、分裂しろ!!という江戸幕府の悪意が透けて見えます。
お話がそれましたが、そのようなわけで、伊達家の宇和島藩時代が始まりました。
先述しましたように、この宇和島の地と伊達家は従来、なんのゆかりもありませんでしたから、藩政を司る人材の育成があったわけではなく、役人、武士なども仙台の伊達家からそのまま引き連れてきたのです。
その仙台の伊達家から連れてきた家臣に、山家公頼という方がいらっしゃいました。
公頼は税制改革、産業構造の刷新などを行い、藩の財政は上向いていったのですが、藩内の妬みを買い、ついには反公頼派の人々が藩主伊達秀宗を動かして、公頼さんを暗殺させます。
その後、公頼さん暗殺に関わった人々が変死を続けた。。。という事件が続きました。
公頼さんのたたりに違いない、と公頼さんの霊を鎮めるために、この和霊神社が建立されたのであります。
なお、私の勝手な推察では、変死が続いた、とありますが、単なる偶然か、旧公頼派が反公頼派を変死に見せかけて暗殺していったのではないか、と推察致します。
お話が長くなりましたが、これが「和霊」神社と呼ばれるゆえんです。
境内は実に見事です。
見どころがあります。
法学者 穂積陳重(ほづみのぶしげ)
和霊神社を堪能して、宇和島の街を散策します。
ほっ 穂積橋!!
のけぞりました。
私もかつては法学徒。
穂積陳重さんといえば、日本の民法典編纂にあたって、中心的な活躍をした大学者さんです。
穂積さんが、まさかこの宇和島ご出身とは。。。そこまでは探求しておりませんでした。
感激です。
それでは宇和島城に向かいます!!
宇和島名物 じゃこ天 宣伝
本ブログの旅紀行でも、土地の名産をご紹介して、宣伝と致します。
(ラッコ店長は2025年2月より記事による収入を命綱とすることと致しました。クリックをして頂くだけでも助かります。)
宇和島の名産は、じゃこ天です。
小魚をすりつぶして練り、揚げたもので、ホテルなどに宿泊しますと、必ずといって良いほど提供されます。
美味しいです。
このじゃこ天も、仙台藩のかまぼこの技術を応用して、先述しました、初代藩主伊達秀宗さんが作らせた、と言われております。
じゃこ天
画像引用 安岡蒲鉾
https://yasuokakamaboko.co.jp/content/jakoten_eat.php
本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。
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