イベントレポート 2025年3月23日 ラッコ自転車初イベント その4 琵琶塚古墳 摩利支天塚古墳

イベント

皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。

本記事は

イベントレポート 2025年3月23日 ラッコ自転車初イベント その3 昼食
皆様、こんにちは!!ラッコ店長です。本記事はの続きです。出発蓼沼親水公園を出発します。ひたすらにまっすぐの道が続きます。時々、鬼怒川を渡す橋がありまして、その橋をくぐるポイント探しが難しいのです。ここでは間違えて上の道路に進んでしまいました...

の続きです。

出発

ラーメンショップR4さんで昼食を頂き、出発致します。

可能な限り、都内では遭遇できない、のんびりした道を進みます。
そうでなければ、皆様にこのような地方(大変失礼)に来ていただいた意味が無いからです。

小山市 国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳

次なる目的地、小山市 国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳に向かいます!!
東京都、神奈川県にお住まいの方には、意外にも思われるかもしれませんが、栃木県というのは大量の古墳が現存している地域なのです。
古墳とは、何も京都、奈良だけにあるものではありません。

古墳時代、東北地方には、いまだヤマト王権に従わない人々がいらっしゃいました。
この栃木県には、そのヤマト王権の前線基地、軍事拠点が多く設けられました。
そして、軍事拠点を束ねるリーダーたちの権威、経済力を誇示する建造物として、数多(あまた)の古墳が建設されたのです。

さらに、東京都、神奈川県といった南関東と異なり、強烈な都市化、開発が進まず古墳が破壊されなかった、という好条件が重なりました。

私も栃木県に移住して、たくさんの古墳があることを知り、打ち震えながら訪れたいと思っていたのです。

資料館

まず、資料館に向かいます。
小山市が運営している資料館で、入館料は無料です。

結論から申し上げますと、この資料館、素晴らしく良質でした。
展示物が良いだけでなく、解説員の方が実に丁寧、親切にご説明頂きました。
また、ときにはユーモアをまじえ、拝聴している私どもが飽きないように、工夫をしておられました。
公営の(凄まじく失礼な物言いでございますが)資料館で、ここまでクオリティが高い場所も珍しいです。
運営しておられる皆様方の熱意、善意に深く敬愛の情を示します。

入館してまず、椅子に座りながら10分ほどの解説動画を拝見しました。
(サイクリング直後は、皆様に休憩をして頂いたほうがくたびれる方がでにくいため、いったん座るアトラクションというのは好都合なのです。)

この解説動画もよく出来ていて、理解が進みました。

古墳から出土した遺物、埴輪などを専門家の方の解説を拝聴しながら、拝見します。
素晴らしく理解が進みました。

皆様、食い入るように展示物をご覧になります。

琵琶塚古墳に登る

続きまして、現物の古墳を拝見します。
(まず最初に資料館に立ち寄ったのは、皆様を休憩させることと、先に学術的な知識を頭に入れておいたほうが遺跡を拝見するときに、より面白かろうという配慮からです。)

リアル古墳に、実際に登ることができる、というの場所は珍しいです。
貴重な体験と言えましょう。

琵琶塚古墳、6世紀ごろ出来た前方後円墳です。
琵琶のような形をしているため、後世の人々が琵琶塚古墳と名付けました。

古墳は巨大で、観光用の登り口が方形の斜度が緩やかな箇所に限定されているため、ぐるーーーーーっと回り込みながら進みます。

登り口です。
T様と古墳の大きさの比較から、いかにこの琵琶塚古墳が巨大かがお分かり頂けると思います。
山のようです。

SPD SL、SPDシューズで登ります。

登りました。
良い眺めです。

円錐型の頂点に、祭壇!?が設けられていました。
よく見ると、近代の昭和に出来たものでありました。

堪能しました。
降ります。

先に進みます。
すぐとなりに、摩利支天塚古墳、というものがあるのですが、残り時間を考慮して、こちらは外周部から拝見するのみ、と致しました。

参考 別日の摩利支天塚古墳

なお、摩利支天とは、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、インド由来の守護神です。
戦いの女神として、中世、戦国期に信仰を集めました。
毛利元就(もうりもとなり)、立花道雪(たちばなどうせつ)といった著名な武将が摩利支天の像を旗印に用いたり、武田信玄公の配下として活躍した(と言われている)山本勘助(やまもとかんすけ)も信仰していた、と言われています。

今回のイベント前に、個人的に訪れたときの画像を添付します。

そもそも、摩利支天塚古墳は、当初から摩利支天を祀っていたわけではありません。
これはよくあることですが、不思議な遺構、お城趾などには、人々が神聖さを感じて宗教施設を作ることがあります。

本古墳跡も、後世の人々が神社を作り、摩利支天を祀ったため摩利支天塚古墳と呼ばれているのです。
実は、古墳と摩利支天の直接の関連性はありません。

古墳は見事なまでに木々に覆い尽くされ、ゆえに保存状態が良いまま現存しています。

円錐部分と方形部分の間のくびれが良く分かります。

摩利支天の社がありました。

琵琶塚古墳、摩利支天塚古墳を堪能して、先に進みます。

本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。

小山市

今回訪れた小山市は、人口17万人、栃木県では宇都宮市に次ぐ人口がある都市です。
平安時代から続く小山氏(おやまし)という名門が治めた場所でありました。
現在は、全国一のハトムギの産地して、様々な特産品を作っておられます。


本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。

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