本記事は

の続きです。
2025年7月22日
朝になりました。
キャンプ場の目の前が祖谷川です。



今日は昨日、あまりの混雑に通過した、かずら橋をもう一度訪れたいと思っていたのです。
かずら橋は朝8時から営業開始しておりまして、今日がいかに 海の日の振替休日でお休みとはいえ、朝8時であれば空いているだろうと思われたので、 朝一番に訪れてみたかったのです。
朝8時に到着しますと、何ということでしょう!!
昨日とはうって変わってものすごく空いています。
しかも朝日に浮かび上がる祖谷の谷とかずら橋、祖谷川が非常に美しいのです。
素晴らしく美しいです。
これであれば祖谷を絶賛いたします。



早速 かずら橋を渡ります。
現金かpaypayによるご決済のみで550円となっています。

不思議とそれほどの恐怖感を感じません。
今まで渡ってきた陸橋、〇〇大橋などがありえないほどの高さであったからでしょうか。

かずら橋を出発し、祖谷川に沿ってずんずんと先に進みます。
剣山というところまで進んで北上し、吉野川に抜けたいと思っていたものの、獲得標高が2000m以上と出ておりまして、それを1日でこなすのはあまりも厳しいかなと思い、途中で野営することにしました。
かずら橋のあった、西祖谷周辺とは異なって、爆音を鳴り響かせる車やバイクがほとんどなく、静かにヒルクライムができたので、非常によろしかったです。
祖谷川と祖谷渓が非常に美しいです。



途中で東祖谷歴史民俗資料館という建物を発見しました。
当初はそれほど興味がなかったのでありますが(失礼)、あまりにも外が暑かったので、休憩がてら拝見しようかと思って中に入りました。
すると、何ということでしょう!!
受付の女性がお茶を出してくださったり、案内の地図をくださったり、あれこれと教えてくださいました。


日本の各地には平家の落人伝説、平家の隠れ家、隠れ里といった伝説があります。
この祖谷にも、平家の落人伝説があるのですが、なんと!!
屋島の戦いの後、安徳天皇がこの地にいらして、お持ちであった草薙の剣を源氏復讐を祈って山の上に突き刺し、以後その山を剣山と呼ぶようになったという、という説明がありました。
平家軍の一部、兵士が生き延びて細々と生活をしていたなどというレベルではなく、天皇ご自身がここに移り住んで平家再興を謀っていたという、この地の伝説の凄まじさにびっくりしたのであります。
通説では言うまでもなく、安徳天皇は下関沖合、壇ノ浦に三種の神器とともに 海中に没したと言われております。
しかも平家の軍旗も存在するとのことです。


このように 東祖谷で素晴らしい発見をしたことと、これまた素晴らしいおもてなしを受けたことで、昨日までの祖谷渓批判が一転して祖谷渓賛美(正確に言えば東祖谷賛美)へと転じたのであります。
キャンプ場に到着しました。
キャンプ場はなんと!!
かずら橋を渡らなければ到達できないという、なかなかに ハードルが高いキャンプ場なのであります。
管理人さんの許可を頂いて自転車のまま、かずら橋を渡ることにいたしました。
まさか自転車でかずら橋を渡ることになるとは思いませんでした。
東祖谷に来て、ますます良かったと思ったのであります。



キャンプ場に到着し、テントを設営して、のんびりと過ごしながら英気を養います。

その20

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