2025年7月28日
本記事は

の続きです。
急きょ、喜多方に宿泊することに致しました。
急なお泊りでありましたが、お宿の方は親切にも、ロードバイクの置き場を用意してくださったり、お洗濯をすることもできました。

お風呂に入ります。

泥にように眠り、翌朝になりました。
I様がお持ちのムース式パック洗顔というものを皆様で試しました。

チェックアウト時刻ギリギリまで、ロビーでのんびりします。
お宿の方が冷たいお漬物と、これまた冷たい緑茶をくださいました。
実に美味です。

イベント延長戦、それでは開始です!!
せっかく一日延長したため、私もいままで訪れたことがない場所に行こうと思いました。
会津盆地は田んぼがとても多い地域です。
道幅が狭く、クルマにとっては走りづらい道かもしれません。
しかし、田んぼの平野部が広がっている、ということは平坦、直線路が多いということで、ロードバイクが走りやすい環境にあります。



昨日は時間が無くて省略してしまった、道の駅に立ち寄ります。
桃が猛烈にお安いです!!
東京の数分の一のお値段で桃が販売されています。

さらに、白いなすび、というものを初めて拝見しました。
これは不思議な。。。


会津は、大正時代からソースカツ丼というものが食べられていたようで、名物の一つになっています。
頂きます。

会津といえば、赤ベコも著名です。
なんと、公園が赤ベコという、壮大な仕組みです。

飯盛山に来ました。
ここは、幕末、戊辰戦争のときの戦場として著名な場所です。
白虎隊という少年武士の一団が、この飯盛山裾野で自刃して果てた、という場所です。
自刃の地までは急坂の階段を登らなければならず、I様と私は有料エスカレーター(お一人¥250)を使いました。
A様はなんと、走ってそのままお登りになりました。

エスカレーターよりも、走るほうが早いようです。
すでにA様が頂上にお着きでした。

まず、白虎隊の方々のお墓をお参りします。



山を少し降りて、自刃の地に到着しました。
なるほど、かなり離れた距離でありますが、会津若松城が前方に見えます。


会津の方々にとっては、戊辰戦争は災難、いいがかり、一方的な武力侵攻と言うべきものでしょう。
戦場に散っていった方々の御冥福をお祈り申し上げます。
すでに気温は37度で、人類が生存できる限界を超えているでしょう。
かき氷を頂いて、体の内部から冷やします。

一息つき、山を降りて、ドトールさんで休息します。
このくらい頻繁に休息を取らないと、危険な気温、日差しです。
Yahooさんの天気予報では、この日の最高気温は39度でした。

私が個人的に行ってみたかったところ、御薬園(おやくえん)です。
会津を統治した歴代の支配者たちが手を加えていった庭園です。
素晴らしい。
江戸時代に確立した、いかにも大名庭園、というわけではない、自由な美の追求という姿を見ることができます。





カモさんと戯れました。

会津若松駅に戻り、電車に乗ります。
帰路につきます。
改札口はJR線を使いますが、まず最初に会津鉄道線に乗ります。
そしてその後、会津田島という駅で同じ会津鉄道線を乗り換えて、さらにその後、会津高原尾瀬口駅で野岩鉄道線に乗り換え、さらに新藤原という駅で東武鉄道線に乗り換える予定です。
なお、会津鉄道は現金、切符による乗車のみ可能で、なんとJR会津若松駅の改札はSuicaで通過できるにもかかわらず、会津鉄道内では全くの無意味、新たに車内で精算する必要があります。
つまり、Suicaで改札を通っても無駄、いえ正確に言えば後日Suica入場記録を抹消する手間が増えるだけで、当初から会津鉄道用の紙の切符を購入しておくことが吉です。




野岩鉄道さんはお座敷がある、という変わった列車でございました。



下今市駅で下車し、解散と致しました。
それでは皆様、次回イベントでお会いしましょう。

以下は、本イベント速報の全てです。






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