2021年12月24日-2022年1月7日 西南戦争、西郷隆盛さんの足跡をたどる / その8 熊本城攻防戦

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皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。

本記事は


の続きとなります。

本記事のルートです。


2021年12月28日、西郷軍と私は、八代市を出発しました。


門司という港町は大好きなところで、門司までわずか200kmであるのかと、不思議な気持ちになりました。


ついに!!
熊本城に到着しました。


聞くところによると、西郷軍の到着を恐れたのか、我ら到着する直前に熊本城は失火によって貴重な兵糧、櫓等を失っていました。

さらに、熊本城を守る兵は徴兵によって集められた者たちばかり。
それに比べ、我軍は幕末の維新を戦い抜いた精鋭揃い。
我軍の威容を見た鎮台の兵たちは、そのまま逃げ出すに違いない。
自信満々の先鋒部隊が熊本城の前を通過しようと致しました。

すると、なんということでしょう!!
鎮台の兵が矢玉を射掛けてきたのです!!

むきーーーーっ!!
こうなれば、熊本城なぞ、ひともみに捻り潰してくれる!!

熊本城総攻撃が始まりました。


池上隊、桐野隊(西郷軍の一部隊です)が熊本城に猛攻を加えます。



むううう。
天守閣の備えは万全のようです。


天守閣内部も見事としか言いようがありません。







城北西部の段山は熊本城内への射撃が可能な高台であったため、この地を巡って我軍と鎮台兵との間で激戦が繰り広げられました。
多大な犠牲を払いつつ、段山の占拠に成功し、城内に猛射撃を浴びせました。
しかし、鎮台の兵はよく耐え、精強であるはずの薩軍が熊本城に近づくこともできずに、この日の総攻撃は終わりました。


夜半に西郷先生、篠原隊長、桐野隊長他、幹部が集結して軍議が開かれたようでした。
議論は百出したものの、最後は先生のご決断で、3000ほどの兵で熊本城を包囲し、本体は北上して北九州、小倉を目指すこととなりました。
(後になって振り返ってみますと、このとき兵力分散をしてしまったこと、熊本城攻略に時間を割きすぎたことが戦機の転換点となってしまったのでありますが、それは結果論というものでありましょう)

ともあれ、熊本城包囲は友軍に任せ、さらに北上することになったのです。


本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。

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