2021年12月24日-2022年1月7日 西南戦争、西郷隆盛さんの足跡をたどる / その19 完 敬天愛人

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皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。

本記事は


の続きです。

城山最終決戦

最期まで、西郷先生のそばにいたいと願うものは300名ほどでした。
我軍の周りは、70,000の政府軍によって包囲されておりましたが、皆、晴れ晴れとした表情で、武器の手入れをしている者、政府軍への進撃方向の検討に余念が無い者など、様々でした。

降伏勧告

政府軍の山縣有朋さんから使者が参りました。
いはく、西郷先生が投降すれば、将兵の命は助けると。
この申し出に対して、先生はしばしためらわれておられました。

しかし、この段になって命を惜しむ者がいる訳もなく、諸将が西郷先生をお守りしたいと申し上げ、降伏勧告をお受けになることはありませんでした。

村田新八さん

その晩、村田新八さんが珍しい楽器を弾いて、宴が催されました。

総攻撃開始

明けて、午前4時、政府軍の総攻撃が始まりました。
城山を駆け下り、進撃します。

しかし、衆寡敵せず、西郷先生は複数の銃弾をお受けになりました。
これ以上の進撃は不可能になりました。
西郷先生は東の方角にむかって拝礼し、同行していた別府晋介さんに解釈をお頼みになりました。
そして、諸将の見守る中、西郷先生は自刃なさいました。


戦闘集結 敬天愛人

残った者もことごとく討死し、ここに、明治十年の役、西南戦争は集結を迎えたのであります。

私には明治維新で見せた西郷先生の戦闘指揮の見事さ、卓越した戦略眼などに比べて、この戦いの無為無策ぶりが先生の故意によるものであると思われて仕方ありません。

つまり、日の本に平和をもたらすために敢えて戦争を継続し、反対分子を自らの下に集めて意図的に敗北する。

敗北することで、平安をもたらすという、常人には実行しがたい、いかにも先生らしい大戦略、国家百年の計でありました。

そして、西郷先生がこの戦いを士族最後の戦いとする、と宣言した通り、以後この国に内戦が起きることはありませんでした。
先生のご慧眼を尊崇するとともに、亡くなった多くの方々、戦火を被った方々に哀悼の意を捧げます。

本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。

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