皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。
本稿では、国宝 五重の塔と、ロードバイクでの行き方について記します。
まず、国宝の五重塔は、9つあります。
日本の北東から南西に向かって列挙しますと、
(東北地方)
羽黒山五重塔
(京都)
東寺五重塔
興福寺五重塔
醍醐寺五重塔
(奈良)
法隆寺五重塔
海住山寺五重塔
室生寺五重塔
(中国地方)
明王院五重塔
瑠璃光寺五重塔
です。
東寺五重塔の位置
本稿では、東寺 五重塔について記します。



京都市南区九条町にあります。

ロードバイク乗りが東寺五重塔を訪れるときの注意点
京都市内は、ほぼ全域が駐輪禁止エリアに指定されています。
観光のためとはいえ、ロードバイクを駐輪して、その場から離れますと、撤去、返還費用を求められることがあります。
ゆえに、観光するときは、駐輪場に停めておくのが良いでしょう。

東寺であれば、駐輪場がありますから、そこに駐輪して拝観すれば、良いでしょう。

東寺 駐輪場の位置
ロードバイクで、東寺五重塔への行き方
東寺へは、要するに京都に行けば良いのでありますから、どのようなルートでも到達は可能でしょう。
ここではラッコ流の、上洛(京都への行き方)ルートをご紹介します。
無難なルート 新幹線
新幹線で行く、というものが最も無難でしょう。
京都駅から南に1kmほどで東寺に到着します。
歩いてでも行くことができます。
新幹線にロードバイクを乗せるときは、可能であれば、特大荷物スペース付きの座席を予約すると万全でしょう。
以下の記事をご参照ください。

お安いルート 飛行機
スカイマークエアラインズが羽田空港から、神戸空港まで、うまく予約すれば、¥8,000以下で移動することが可能です。
新千歳空港発、福岡発の便も、かなりお安く入手可能です。
神戸から京都までは、確かに近くはない。。。ですが、80kmほどであるので、ロードバイクがお好きな方であれば造作もない。。。でしょう。
ご参考までに、羽田空港発、神戸空港着、2026年1月2日時点で検索したときの、来月までの運賃を掲載します。
新幹線よりも、びっくりするくらいお安いのがお分かり頂けると思います。

参考 スカイマークエアラインズ
神戸空港から東寺までのルート

なお、飛行機輪行の注意点については、以下の記事をご参照ください。



中国大返しルート
ところで、2026年のNHK大河ドラマは豊臣兄弟!であります。
羽柴秀吉さん(後の豊臣秀吉さん)が中国地方から、一気に京都まで戻ったルートを再現する、というのも愉快でしょう。
まず、備中高松城に向かう
中国大返しを実現するためには、まず、自走でも、何でもよろしいので、岡山県岡山市にある備中高松城まで行っていただきます。
(なお「備中」高松城と枕詞がついているのは、高松城という名前のお城は全国にたくさんありまして、それらと区別するために「備中」をくっつけているのです。)

備中高松城の位置
備中高松城を包囲する
お城の付近は、広大な公園として整備されています。


そして、備中高松城の周囲には、今でも秀吉軍の陣地跡なとが豊富に残されています。
お気に入りの戦国武将になったつもりで、備中高松城をぐるりと取り囲みます(見学します)。




毛利軍にもなれる
秀吉側ばかりでつまらない!!、という方。
ご安心ください。
毛利方の吉川元春さんが陣を張ったと言われる、庚申山や、小早川隆景さんが陣を張ったと言われる、鷹ノ巣城跡に登れば、今日から貴方(あなた)も毛利軍です。
備中高松城の全容が綺麗に見えます。

毛利軍 吉川元春陣所跡

毛利軍 吉川元春陣所跡

毛利軍 小早川隆景陣所跡

毛利軍 小早川隆景陣所跡
備中高松城 水攻め開始!!
秀吉軍、毛利軍、双方の睨み合いが続く中、秀吉軍は大規模な土木工事を始めました(そのように妄想します)。
世に名高い、備中高松城 水攻めであります!!


備中高松城址資料館
高松城を取り囲むように、ぐるりと堤防を巡らせ、川のお水を一気に引き入れて、高松城はあれよあれよと言う間に水没しました。
ところで、お城が少しくらい水没しても平気でしょ?とお思いでしょうか。
しかし、それほど安穏としていられないのです。
まず、水がほとんどの居住区域まで押し寄せるため、兵員、家族の寝泊まりする場所がなくなります。
狭い場所にみんなでじっとするしか無くなるのです。
次に、長時間、泥水に浸かっていますと、衛生環境が極めて悪くなります。
高松城には、数千の人員が収用されていたのです。
疫病などが蔓延して、目も当てられない状況になります。
最後に、食料、弾薬などが水に濡れて汚染、使い物にならなくなります。
このように、水攻めは、城兵が直ちに亡くなるという攻撃方法ではないのですが、城兵に何重ものダメージを蓄積させていく戦法なのです。

備中高松城址資料館 再現CG

備中高松城址資料館 再現CG
なお、秀吉軍が構築した堤防が今でも現存しています!!
これほど、胸がときめくことがあるでしょうか!!
上に登ることもできますから、是非貴方も訪れて、備中高松城 水攻めごっこをしてください。

現存する秀吉軍の堤防跡

現存する秀吉軍の堤防跡


毛利軍と和議の話がもちあがる
しばらく包囲を続けていると、毛利軍、秀吉軍の双方から和議(停戦交渉)のお話が持ち上がってきます。
安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)さん、清水宗治(しみず むねはる)さんなどと、お話をしてください(妄想中)。

備中高松城址資料館
しかし!!
すぐに和議を結んではいけません。
ここが、天下人への分かれ道なのです(意味不明)。
本能寺の変!!
毛利軍との和議を引き伸ばしていると、旧暦6月3日、怪しげな密偵を捉えます(妄想中)。
その密偵を取り調べますと、なんと!!
上様(織田信長さん)は6月2日早暁、本能寺にて、明智光秀さんに討たれたとのこと。

清州城 天守閣資料館
しかし!!
上様が亡くなったことを毛利軍に知られてはいけません。
もし上様が亡くなったことを知られたら、毛利軍は一気に押し寄せて、背後の友軍たちも次々に寝返る可能性があります。
秘密のまま、毛利軍全権委任の安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)さんと強引に和議を結んでください(妄想中)。

安国寺恵瓊と羽柴秀吉 画像引用 wikipedia
中国大返し!!
毛利軍に上様の死を悟られることなく、一気に京都へ戻ります。
中国大返しの始まりです!!
明智光秀軍と激突する、山崎の戦いまで、時間がありません!!
急いでください(交通規則を守り、ご安全にお進みください。
備中高松城から京都の山崎付近まで、200kmほどですから、史実通り、一週間あれば余裕で戻ることができます)。

画像引用 wikipedia
途中、あまりにも急いだため、後続部隊の到着と、休息をとるために、姫路城で1日半、休んでください。
時間があるときには、秀吉配下の黒田官兵衛さんが担当したと言われる石垣部分、上山里(かみやまざと)下段部分を拝見するのが良いでしょう。

姫路城

黒田官兵衛が担当したと言われる石垣部分
再び、行軍開始
全軍が姫路に追いついたようです。
進軍を再開します。
山崎の戦い 天王山
上様(織田信長さん)を討った明智光秀さんが、京都の山崎北西に布陣している、という情報が入りました。
山崎は、淀川と山岳によって作られたくびれの部分で、京都に入るためには、ここを通過しなければならないのです。
秀吉さんの入念な味方工作、欺瞞情報(信長さんがまだ生きていると偽情報を流していた)などによって、秀吉方は山﨑の地に4万の軍勢を集結させるのに成功しました。
対する明智光秀さんは、親類である細川藤孝(ほそかわ ふじたか)さん、筒井順慶(つつい じゅんけい)さんなどの合力を得ることができず、山﨑の地に参集したのは直衛の1万7千のみ。
しかし、戦闘が長引けば明智軍(滋賀県、京都府北部を本拠地)の方が、秀吉軍(兵庫県西部を本拠地)よりも補給に有利です。
また、京都、朝廷を支配下においている明智軍が、全国規模での味方を募ることも不可能ではありませんでした。
しかし、夕刻、秀吉軍の一部部隊が淀川沿いを遡り、明智軍に奇襲をかけたことで均衡が破れ、明智軍は総崩れとなりました。

なお、講談で著名な天王山もすぐ脇にあります。
山崎の戦いは天王山の戦いと呼ばれることもありまして、現代の日本語でも、雌雄を決する重大な局面を「天王山」と表現することがあります。
しかし、実際に天王山で合戦があったかは疑問であります。
前述しましたように、山崎の地は狭く、谷間の出入り口である平野部に兵力が展開していたようですから、大部隊あえて天王山に登って合戦をしたとは思えません。
(実際に天王山に登ってみると分かりますが、急峻な山で、大部隊が展開できる余裕はありません)
ところで、この山には、牛頭天王という神様が祀られておりまして、ゆえに、天王山という山の名前がつきました。
後に、秀吉さんが天下人になったことから、彼の過去の業績が伝説化されていきました。
この天王山もまさに天下人を作った場所のすぐそばにあったあることから、天王山という名前が人々の印象に強く残り、ここで激戦が繰り広げられた、と広く解釈されるようになったのだと推察します。
実際の戦場地名ではなく、何か他の要素で後世、合戦名として記憶される、というのはよくあることですし、この山崎の戦いも、その一例と言えるでしょう。




勝龍寺城に撤退
明智光秀さんは、残兵をまとめ、勝龍寺城に退きました。
明智光秀さんが山崎の戦いのあと、勝龍寺城を退去する際に通ったと言われる門跡が現存しています。



無念、光秀公!! 小栗栖(おぐるす)に散る!!
明智軍の士気低下は著しく、脱走兵があとを絶ちませんでした。
わずかな供回りとともに、現在の京都府京都市伏見区小栗栖(おぐるす)を通りかかっている際、落ち武者狩りにあったと伝えられています。
なお、この小栗栖には、今でも明智藪、と呼ばれる竹林がありまして、明智光秀さんの業績が忍ばれる地となっています。



いざ、東寺へ。関白就任
明智藪から、東寺までは、8.7kmほど、京都は碁盤の目のように道が整備されていますから、適度に、適当に北西方向に進んでください。
洛中(京都市街地)に入って、都(みやこ)の治安をおさめてください。
数年もすれば、朝廷から関白就任への打診があります(妄想)。

本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長でした。
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