皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。
実況中継とは、その場その場から記事をアップロードしていく、という速報記事のことです。
後日、詳細な別記事を公開することがあります。
本記事には、衝撃的、痛ましい交通事故が記されています。
苦手な方はお読みにならないでください。
本記事は、大分県ロードバイクひき逃げ事故シリーズ(以下、本伝といいます)の速報版で、時系列が未来に飛んだ内容となっています。
本伝 その1

最後の審判
2025年12月1日、最後の審判ともいうべき、最終検査がありました。
最終検査でも問題がない、と判断され、退院が決まりました。
医師の方から、病状の変化などをご説明頂きました。
体内に管が入っているのがお分かり頂けるでしょうか。
これがドレインというものです。
肺周辺の空気、体液を排出するための管で、私の右肺には、直径2cmほど、長さ16cmのチューブが11月13日から26日まで、13日間、突き刺さっていたのです。
戦慄しますね。

一般病棟へ引っ越し
入院最後の2日間だけは、救命救急センターから一般病棟に移されました。
一般病棟は、戦場のような救命救急センター、集中治療室とは異なり、実に穏やかなお部屋でございました。
退院が決まり、着替えをします。
私の衣類は、全て、救急車内で切り裂かれたため、新しい衣類をホタテ貝助手に用立てしてもらいました。
(緊急時、重病患者の手当は全裸で行われます)
体重は入院生活26日間で4kgほど落ちました。
げっそりしたと言ってよろしいでしょう。
また、退院直前に、スッキリしたかったため、散髪をしました。
病院内に理髪店があるという、とても便利なところなのです。


大分大学医学部付属病院
お世話になった大分大学医学部付属病院を去ります。
救命救急センターの出入りは、かなり厳重に制限されておりまして、私も一昨日まで救命救急センターにおりまして、本日退院することになったため、是非最後にお礼を申し上げたい、とお願いをして、なんとか通してもらいました。
看護師、医師の方々は交代制でありまして、全ての方がおいでであったわけではありませんが、特にお世話になった方々へ個別のご挨拶をすることができて、心が晴れたのであります。
看護師のG様、I様、S様がおいでで、日々、特にお世話になったため、お礼申し上げることができて、嬉しかったのであります。
大分大学医学部付属病院の方々には命を救われました。
深く感謝申し上げます。
また、皆様の日々のお仕事ぶりに敬意を表します。

26日間の入院生活で、初めて外にでました。
外気とは、ここまでワイルド、荒々しいものとは思いませんでした。
風が吹いていますし、結構寒いです。
右腕もここまで上がるようになりました。
事故後数日間は、ほぼ何も動かないレベルだったのです。

大分市内へ
タクシーに乗って大分市内に向かいます。
私はヘリコプターで、お空から大分大学医学部付属病院に搬入されたため、周囲の地形がよくわかりませんでした。
しかし、タクシーはひたすらダウンヒルを続け、大分大学医学部付属病院がここまで高台にあったとは思いませんでした。

大分市内のダイワロイネットホテルに宿泊します。

退院の応援に駆けつけてくれたA様とホタテ貝助手です。
実を申せば、A様とホタテ貝助手とは、店舗イベントで、佐渡ヶ島、宮古島、東北周遊などに行ったこともあり、過去、何十日も自転車旅行を共にした戦友ともいうべきお客様なのです。

私はノンアルコールビールで乾杯致しました。

このような不健康!?な食事は26日ぶりです。

お箸を持ったのも26日ぶり。
モノを掴むことが難しかったため、ずっとスプーンとフォークが合体したものを使っていたのです。
お箸が操作できるようになりました。

お知り合いから退院祝いを頂きました。
(正確に申し上げると、ホタテ貝助手が一度、大分から関東に戻ったときに、退院を見越してあらかじめホタテ貝助手に渡してくれた方がいました。)
ありがたいことなのです。

また、複数のお客様からご連絡を頂きまして、大変にありがたいことでございました。
お休みなさい。
本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長でした。
その2

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