皆様、こんにちは!!
ラッコ店長です。
鹿児島空港から、鹿児島の市街地へ向けて、出発します。
ところで、福岡空港、松山空港等を例外を除いて、多くの空港は市街地から少し離れた箇所に立地しています。
鹿児島空港も同様で、市街地から40kmほど離れています。
(なお、余談になりますが、これまた多くの空港で見受けられる特徴として、山、高台の上にある、というものがあります。
鹿児島空港も高台の上にありまして、重装備のロードバイクで登る場合、思いの外時間がかかります。
旅行の最終日に鹿児島空港を利用しようと計画しておられる方は、空港までの獲得標高、斜度を十分にご考慮ください。
離陸の時間に間に合わせるために、鬼の形相でヒルクライムをしなければならないかもしれません。)
しばらく走っていると、目を引く看板がありました。
島津義弘公終焉の地、とあります。
しまず よしひろ!!
私はのけぞりました。
島津義弘さんは、安土桃山時代に活躍した武将で、その卓越した武勇から、鬼島津という異名で呼ばれることもある方です。
特に著名な武勇伝として、関ケ原の戦いで西軍に参加した島津義弘さんは、300名の軍勢で敵中に孤立してしまいました。
本拠地である鹿児島県まで帰還しようとしますが、徳川勢によって執拗な追撃を受けます。
その際、自軍の退却路に数名ずつ兵を配置させました。
敵軍が接近してきたら、まず火縄銃で指揮官を狙撃して敵軍の混乱を誘い、その後、白兵戦で時間稼ぎをする、というものでした。
「すてがまり(捨て奸)」という壮絶な退却戦で、最後尾にとどまった兵が死力を尽くして戦う、というものでした。
この決死の作戦により、島津義弘さんは見事、薩摩への帰還を成功させました。
(なお、300名の軍勢のうち、薩摩まで帰還できた者は80名ほどであったと言います)
絶望的な状況でも採りうる最善の策を瞬時に考え、躊躇なく実行する。
そのすさまじい気概に、島津義弘さんのことを思うと、畏敬の念で、ぷるぷる震えてしまうのです。
その、島津義弘さんの最期の場所!!
ここは寄らざるを得ません。
かつて、島津義弘さんという男が、確かにここにいらしたのだ、と思うと、感極まって涙が出そうになるのです。
(とはいえ付近住民の方にとっても日常的な風景であるのか、とくに観光名所として賑わっているわけではありませんでした。)
さらに進みますと、島津義弘さんが居住していた、という館跡がありました。
素晴らしい!!
島津義弘さんの活躍が解説されておりました。
枯山水の跡です。
実に素晴らしい!!
国道10号線を走ります。
海沿いで、景色が美しい道です。
しかし、およそ自転車が走ることは念頭に置かれていません。
かろうじて歩道がある箇所は歩道を走りますが、それ以外は大量のクルマを避けつつ、ひたすら道の端を走ることになります。
(本ツーリングをしたのは2021年で、この記事を改めて記述しているのは2024年です)
全国の走行経験が増えた今から振り返ると、鹿児島空港から鹿児島市街地までの、国道10号線の区間はロードバイクに優しい道ではありません。
とんでもない交通量の多いにもかかわらず、路肩が狭いです。
2024年現在まで、国道10号線は、単独では4回走りましたが、お客様やお友達を連れて安全に走る自信はありません。
よほどの理由が無い限りは、回避すべき道と考えます。
このような道を何回も走っていると、いずれ事故に遭遇するでしょう。
辛口な記述となりましたが、そもそも幹線道路を重装備のキャンプツーリング車で走る、という行為の方が、世の人々の生活スタイル、交通事情と大きく食い違っているのです。
いずれにせよ、国道10号線を進み、鹿児島県に入りました。
桜島が見えます。
訪れてみたい、と思っていた場所、仙巌園(せんがんえん)に到着しました!!
本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長こと、奈須野でした。