ラッコ店長です。
本記事には、衝撃的、痛ましい交通事故の内容が記されています。
苦手な方はお読みにならないでください。
本記事は

の続きです。
縫合
病院に到着しました。
私はベッド、担架に寝たままで、うっすらと天井を見ておりました。
右脇がすさまじく痛いため、左向きになって横たわっておりました。
周囲には、ズラリと10人くらいの人が並んでいます。
左向きの姿勢のまま、まず、右胸をさらに縫合しました。
指導教官と部下という関係なのか、誰かが指示をして、別の人が縫っているようでした。
救急車の中で縫ったけど、まだ縫うの!?とは思いました。
究極の同意書
その後、寝た姿勢のまま、6通くらい、万一の場合、死んでも構いませんという同意書にサインします。
100%の保証など、できないからでしょう。
このサインがきついです。
ペンを持つことすらしんどい。
さらに、首がほとんど上に持ち上げられません。
書類は見えない、激痛で理解もできないけれども、ここでサインしないと病院側も後々面倒なことになるでしょう。
看護師さんもかなり強引に求めてきました。
ご協力します。
CTスキャン
CTスキャンというものをします。
輪切りの撮影機です。
担架に横たわったまま、下にシーツのようなものを入れられて、複数人の方が私を抱えて、シーツごと機械の上に載せられました。
ぞうえいざい というものを注射され、さらにCTスキャンをしました。
腕からブワッと熱が広がるのを感じます。
これが正常な反応らしいです。
ぞうえいざいも、15万分の1くらいの確率で死にますと注意されました。
しかし、医療というのはそういうものです。
統計学的に、あらゆる処方で、死者は必ず出る。
特に文句はないし恐怖もありません。
その後、悶絶級の痛みがありながら、背中に板を入れられ、寝ながらレントゲン写真を撮りました。
集中治療室 カテーテル 強制採尿
その後、集中治療室に移されました。
ここも、全て横たわったままです。
そして、人生初のカテーテルと言うものをつけました。
犯罪捜査にしばしば使われる器具で、強制的におしっこを取れる器具です。
薬物事犯などでは、おしっこに端的に薬物反応がでます。
被疑者もそれを知っているので、おしっこの任意提出を拒むのです。
そうなると、捜査機関は裁判所から令状をもらって、強制的におしっこを採取します。
おちんちんの先から膀胱まで管を通します。
痛い痛い!!と絶句しました。
なんでも私は通しにくいそうです。
女性の看護師さん二人がかりで何回か入れたり出したりして、管を通し、もうこうなると自己の意思とは関わりなく、自動的におしっこが排出されていきます。
おしっこ専用タンクもベッド脇に設置されました。
なるほど、これがカテーテルか。
人権侵害の程度は低い、とか言われますがどこが!?と思われました。
当然ながら紙おむつも装着。
お手洗いに行くとなぞできないからです。
(後日談になりますが、5日目までうんちは出ませんでした)
更に、巨大な点滴を打たれました。
後に振り返りますと数日間はこの点滴で必要な水分、養分などをすべて補っていたのでした。
点滴のバッグの大きさがとんでもないです。
自分では気が付きませんでしたが(5日目くらいに気がついた)、心電図の計器を接続されていました。
そして、肺機能が低下していたため、高濃度の酸素で補うべく、酸素マスクを着用しました。
指先にLAN端子のような血中酸素濃度計を指つけて、いったん終わりました。

2025年11月13日、集中治療室から出て、かなり元気になったときに撮影したもの
収容されたのは集中治療室で、あらゆる電子機器操作が禁じられています。
写真撮影も禁止。
自分自身なのだからいいじゃないか、と痛烈に思いますが、集中治療室は全部で3室あるようで、私はその真中に収容されました。
撮影の過程でほかの方のようす、情報などが入り込むことは十分に予想されますし、撮影を全面一律禁止にするのも理解はできます。
撮影可にすると、苦しんでいる患者を面白半分に撮影してwebに公開する輩がでてきたり、不謹慎だという心理的な配慮もあるでしょう。
助手登場
夜半にホタテ貝助手が来てくれました。
今まで明かしておりませんでしたが、ラッコ店長には助手がいます。
自転車安全整備士、自転車技士の凄まじく重い荷物も、実はホタテ貝助手に半分もってもらっていたから可能であったのです。

ホタテ貝助手が栃木県から空路、この大分まで来てくれました。
しかし私は隔離されていたため、全くお話することはできませんでした。
私の生存を見せることが出来ただけで良しとします。
私もロードバイクに乗っているんです
瀕死の私を力づけようとしてくださったのか、お二人の医師の方、あるいは看護師さんが、私もロードバイクに乗っているんですよ、とお話しくださいました。
さらなる悲劇 インフルエンザ
さらに、私はインフルエンザにかかっていたようで、これが凄まじい悲劇をもたらすのです。
インフルエンザと、骨折の発熱で体温が40度近くから下がらず、あるいは死んでしまうかもしれないと医師が判断したようです。
夜半、病院側が神奈川県在住の母と姉に連絡していたようでした。
こうして、2025年11月6日が過ぎ去りました。
その6

本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、ラッコ店長でした。
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